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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2021-04-02 第204回国会 衆議院 環境委員会 第4号

○田村(貴)委員 霧島連山では、活発な火山活動が続いています。次の噴火はいつ起こるか分かりません。三年前の噴火が再度起こり、田んぼの取水が始まったその後では、もう取り返しのつかない事態になってしまいます。最悪の事態を生まないために、内閣府、農水省と、またほかの省庁と環境省が連携して、是非、噴火による有害汚水河川に流入しない対策を打っていただきたい。  

田村貴昭

2020-11-18 第203回国会 衆議院 農林水産委員会 第5号

二〇一八年に霧島連山、えびの高原硫黄山噴火して、周辺河川赤子川とか長江川、また下流川内川流域稲作ができなくなりました。下流域では水質が回復して、対策も進んで稲作ができるようになったんですけれども、最上流のえびの岡元小学校周辺上浦地域、ここでは三年連続して、えびの米えびのの本当においしいひのひかりの生産が三年続けて今はできなくなっています。

田村貴昭

2018-05-15 第196回国会 参議院 総務委員会 第8号

場所なんですけれども、これは鹿児島県と宮崎県の県境にあります霧島連山の中にあります。ふだんは観光のスポットとして人気があるんですけれども、今年、七年ぶり噴火いたしました。その前は五十二年ぶりだったんですけれども、高いときには八千メートルぐらいの噴煙が上がりますし、実は昨日も四千五百メートルの噴火がありました。  今、この噴火警戒レベル、五段階ありますけれども、その三です。

松下新平

2018-05-14 第196回国会 参議院 予算委員会 第18号

霧島連山硫黄山が四月十九日に噴火をしまして、公明党においても、河野参議院議員井上幹事長現地に急行をしました。  宮崎えびの市、長江川、白濁が観測され、環境基準の二百倍を超えるヒ素ということで、先日お会いをいたしました鹿児島県の隈元伊佐市長さん、池上湧水町長さんも、過去になかなかない事例であるということで非常に悩まれておられました。

秋野公造

2018-05-10 第196回国会 衆議院 農林水産委員会 第13号

霧島連山硫黄山火山噴火に伴う河川汚濁、そして農業被害について、きょうは質問をします。  四月十九日、硫黄山噴火し、活発な火山活動が続いています。そして、宮崎えびの市内を流れる赤子川、長江川、鹿児島県に通じる川内川では、砒素など環境基準を超える有害物質が検出され、農業用水が取水できない事態となっています。  お手元配付の資料をごらんいただきたいと思います。  

田村貴昭

2018-05-10 第196回国会 衆議院 農林水産委員会 第13号

本日は、霧島連山硫黄山における噴火災害、それに伴う農林水産業への影響及びその対策について主に質問をさせていただきたいと思っております。  まず、冒頭、硫黄山噴火が起きたわけであります。二百五十年ぶり、四月十九日から始まりまして、ゴールデンウイークを挟んで、いまだに活動が継続しているという状況でありますが、噴火農業への影響についてどうなっているのか、まず現状をお伺いしたいと思います。

宮路拓馬

2011-12-08 第179回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第4号

これは霧島連山の中のたしか御鉢だったと思いますけれども、これが破局噴火を起こす。今先生がお話の中でちょっと触れられましたけれども、霧島連山火山の固まりですが、これ全体が爆発をする、噴火をする、そういうストーリーだったと思います。  先生専門家としてこの小説、どのような感想を持たれましたか。

古川禎久

2011-02-04 第177回国会 衆議院 予算委員会 第6号

そしてまた、御案内のとおり、きのうも噴火がありましたが、宮崎県と鹿児島県の県境霧島連山新燃岳噴火についても、火山灰によって本当にさまざまな国民生活に大きな影響が出ているわけであります。また、再発した高病原性鳥インフルエンザ発生宮崎県のみならず、各県各市にさまざまな影響が出ております。  

菅原一秀

2011-02-02 第177回国会 衆議院 予算委員会 第4号

また、宮崎鹿児島県境霧島連山新燃岳噴火による大量降灰によりまして、農作物等に打撃が生じております。政府には、噴火予知、万全な避難体制の確保とともに、降灰被害への救済措置も迅速適切に対応していただきたいと思います。  さらに、野鳥由来の高病原性鳥インフルエンザ養鶏場での発生宮崎県、鹿児島県、愛知県で相次いで確認をされております。

石井啓一

2004-03-23 第159回国会 衆議院 本会議 第17号

(拍手)  山中先生は、大正十年七月九日、遠く南国霧島連山を仰ぐ鹿児島県末吉町にお生まれになりました。尋常小学校から上に進学するのが一般的ではなかった時代、そして、母君アキノ様の女手一つで育てられ、裕福とは言い難い状況の中で先生が中学に進学できたのは、「こんなに人望のある子をここで終わりにしては教師として悔いが残る」と母君を説得した担任の先生の存在がありました。  

小里貞利

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